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小松うどんの歴史小松うどん
元禄 2年[1689年] 松尾芭蕉が〈奥の細道〉の旅中、小松に立ち寄られた御礼にと、小松の俳人 塵生が干うどん二箱を届けました。その時にしたためた芭蕉の返書が残っています。
元禄 7年[1694年] 「小松旧記」(小松市指定文化財)に、小松町奉行 長瀬善右衛門から加賀藩の台所奉行にあてた返書「干饂飩の事」に、干うどんについての細かい注文と、製造者 亀屋徳右衛門の名が記されています。
宝暦 5年[1755年] 幕府の巡見視への応答を記した「御国御目付衆江御答帳」の加賀藩名物に、小松のうどん「干饂飩」(乾うどん)が記されています。
明治30年[1897年]
和田長平(小松市初代市長 和田伝四郎の御叔父)が、鉄道開通直前の小松駅前に〈加登長〉の屋号でうどん屋を開業しました。これが現在金沢に二十数店ある「加登長」の始まりです。
明治38年[1905年] 三津野菊松が現在の西町に〈中佐〉の屋号で総本店を開き、徐々に街うちに店舗を増やしました。その後、これらの店で修業を積んだ人たちが〈中音〉〈中石〉〈中定〉〈中芳〉などの屋号で独立し、小松の名声を高めたのです。